2017年07月15日

〜淡路島で紡ぐすてきな日常〜 vol.3 淡路島の最南端、沼島との出会い

こんにちは!紡ぎ屋の藤本沙紀です。


淡路島はすっかり夏の陽気で、毎日暑い!!

梅雨明けはまだのようですが、体感では雨の日はかなり少なかったように感じます。

そしてこの梅雨が明けたら、淡路の夏本番!

どれだけ暑くなるのだろうと、今から怯えております。。()


そんな私は現在、自身で出版予定の雑誌制作に明け暮れる毎日・・・


今回、その雑誌の題材となっているのが南淡路の外れにある、“沼島(ぬしま)”です。


「国生みの島」と呼ばれている淡路島ですが、

その淡路島の中でもいちばんはじめにできた「ヲノコロ島」が、沼島と言われています。


人口400人程度の、小さな漁師町。

もちろん私と同世代(20)の若者は、指で数える程度。

島にはコンビニもなく、夜の18時には眠る町。


最初に沼島へ訪れて感じたのは、“なにもない島”、そんな印象でした。


しかし聞くところによると沼島は、小さい島ながら、その海で捕れる魚は“沼島ブランド”と呼ばれるくらい絶品とされ、全国から年間を通して、多くの釣り人が訪れています。ちょうど最盛期を迎えている鱧は、ほとんどが京都の料亭で使われる超高級品なんだとか!


さらに沼島は、国生み伝説ゆかりの「上立神岩」や「平バエ」など、多くの奇岩に囲まれた島。その奇岩を周遊するおのころクルーズには、平成28年度はなんと1000人もの観光客が来場するほど、年々、人気の観光地となっています。


しかし、そんな取材先の沼島で私が最初に出会った青年は、沼島を「もったいない」と表現していました。


ならばと始まった私の、沼島の“もったいない探し”。


沼島へ何度も足を運び、たくさんの島民の方とお話をさせていただき、

山の中も汗まみれに土まみれ、クモの巣に何度も顔面を突っ込みながら、

くまなく歩きまわり、とにかく沼島を見て聞いて、感じていきました。


そんな中ですごく印象的だったのが、二年前に島外から移住をされたSご夫婦との会話の中で出てきたヒトコト。


「沼島は、精神的な豊かさがある。」


たとえ人口が少なくとも、そこにはしんみりしている雰囲気は一切なく、一人ひとりパワーがあり、みんなが元気なのだと。一人ではなく全員で、いっせーのせで動く島。


そしてなにより、沼島の子供たちはみんな、そんな沼島のことが大好きなのだと。


だから、一度島を離れたとしてもまた、必ず戻って来る。

そしてしっかり沼島で根を張り、生きていくのだと。

そのサイクルがここにはあると。


「だから沼島はきっと、これからもしぶとく残っていく島だと思う。」


そのお話の中で見えてきたのは、

きっと沼島を「もったいない」と放った彼には、彼が見てきた沼島のベストがあり、

それは島民全員、それぞれに言えることなのではないかということでした。


それぞれが思う(知っている)、沼島のベスト。


それを沼島に訪れる観光客に見てもらえないもどかしさ。


“沼島はこんなもんじゃないんだ”


きっと彼の沼島に対する愛情から出たコトバなのだと、そこでようやく、本当の答えをみつけることができました。


でも、取材を終えて私は、“このなにもない現在(いま)の沼島が、最高に素敵だ。”そう、心底実感したし、


きっと訪れる観光客全員の、“そのときに出会った沼島”が、またそれぞれのベストになっていくはずだと、そう確信しました。


だから決して、“もったいなくなんかない。”


取材を通して出会えた、たくさんの人たち。

そして最高に思い出深い、私にとっても原点となった、大切な沼島。


いよいよ佳境の制作も、引き続き頑張ります☆

8月には、販売予定です!^^ 乞うご期待!!



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       <今回の取材で大変お世話になった、沼島総合観光案内所の吉甚さん>




〜紡ぎ屋〜藤本沙紀---

20173月東京から単身、淡路島へ移住。


小さな想いを大きな景色に


まだ見ぬ多くのマイノリティが秘めている価値や想いを
大きな景色に紡ぎ発信していくことを目的とした、
プロデュース・制作活動を行っています。


自然豊かな淡路島で暮らそう
田舎暮らしに少しでも興味のある方、気軽にご相談ください

「あわじ暮らし総合相談窓口」HPは こちら
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2017年03月04日

淡路島七福神霊場の総本山:八浄寺と大黒天

少し前の話になりますが、八浄寺というお寺に行ってきました。

皆さまは淡路島七福神めぐりって聞いたことありますか?
以前このブログでも書かせて頂きましたが、はるか遠い昔、日本神話に登場する2人の神様(イザナギノミコト、イザナミノミコト)によって最初に生み出された島、それが淡路島だと言われています。
島の形が船に似ていることから淡路島を七福神が乗る宝船に見立て、七福神を祀る島内のお寺を参拝して巡り、様々な福を授かろうという訳です。

今回訪れた八浄寺は、そんな淡路島七福神霊場の総本山であると共に、身・心の裕福を授ける大黒天が祀られています。
では、参門をくぐって中に入ってみましょう。

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早速七福神が出迎えてくださいました(笑)。

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七福神って神様でありながらどこかカジュアルで、難しそうなところがなくて、すごく日本的な神様なのではないでしょうか。

私が訪れたのは実は特別な日でして(後程紹介します)、お雑煮のふるまいがありました。
すぐ目の前でたくさんのお餅が焼かれていて、

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焼き立てのお餅をアツアツのお出汁と共に頂きます。
なんて贅沢なんでしょう!!

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エビや鰹節も入っていて、とても優しい味がするお雑煮を頂きながら、「淡路島って豊かな島だなあ」と改めて感じる私なのでした。

さて、境内に目を向けるとひときわ目を引くのが、この鮮やかな朱塗りの塔です。

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日本で唯一の瑜祗七福宝塔(ゆぎしちふくほうとう:真言密教最高の宝塔なのだそうです)で、中にはスリランカから来たお釈迦様の足形など、多くの宝が安置されています。普段は扉が閉まっているようですが、ちょうど私が訪れた時、中でお坊さんがお祈りされていました。

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又、本堂へ行く前に立ち寄りたいのが、この手水舎。

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七福神が横に並び、両手を広げて待ってくれています。
現代の技術も使われているらしく、近づくと自動的に水が流れ出てくるので(笑)、身を清めましょう。
さて、いよいよ本堂です。

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中に入ると正面には、本尊の阿弥陀如来(仏様)が祀られていました。
そして、その向かって左側に七福神の一つに数えられる大黒天(神様)がおられます。

仏様も神様も同じようにお祀りしようじゃないか、という日本人のおおらかさが私は大好きです。
しかも、大黒天は元々はインドの神様。それが仏教として日本に伝わり、出雲大社に祀られている日本古来の神様オオクニヌシ(大国主)と同化し、日本に根付いていったとか。
確かに「大国」は「ダイコク」とも読めますが…、きっと敬虔なキリスト教徒やイスラム教徒が聞いたら「そんないい加減でいいの?」って驚くと思います(笑)。

こちらが、その大黒天。

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まさに七福神といった笑顔の神様で、住職の方が楽しい話をいくつも聞かせて下さいました。
片手に持っている「ふくろ」は「福労」とも呼ばれ、中には神の教えが入っているのだそうです。それは、

・月給ふくろ(自身の役割/仕事に励みなさい)
・知恵ぶくろ(知識を生かす知恵を身に付けなさい)
・堪忍ぶくろ(忍耐力を持ちなさい)
・胃ぶくろ(食べ物に気を付けなさい)
・おふくろ(産んでくれた母親を大事にしなさい)

の5つ。そうすれば、身・心ともに裕福な人生があふれ出てくるということですね。
この住職さん、とても話し上手な方で、最後にもろもろお寺の営業トークをしているうちに「テレビショッピングみたいになってきちゃった」と笑っておられました。

実はこの大黒天、この寺に来ればいつでも見られる訳ではありません。
普段は秘仏として扱われており、1/26(初大黒天祈願大祭)、5/26(春季祈願大祭)、11/26(秋季祈願大祭)の年に3回だけ、特別にご開扉されます。
又、八浄寺はあわじ花へんろ第47番札所にもなっていて、4月から5月にかけて境内にデイゴの花やメグスリノキの白い花が咲き誇るそうで、春の訪問もオススメです。

今回の八浄寺訪問で、私自身、淡路島七福神めぐりに興味が湧いて参りました。暖かくなってきたら、皆様も出かけてみてはいかがでしょうか?

(T)


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2016年11月05日

公民館主催 淡路島史跡探訪講座

先日、公民館が主催する史跡探訪講座に参加してきました。

正直、私は子供の頃から公民館というものにお世話になった経験があまりなかったのですが、淡路島に移住後、状況が一変しました。偶然ある方から公民館が主催するカルチャー講座の話を聞き、去年、今年とお世話になっています。
いろんな講座がありますが、この史跡探訪は、バスで淡路島の史跡を周りながらその歴史を解説してもらうという講座です。
淡路島のまだ知らないスポットに足を運べるということに加え、もう1つ私には参加する大きなモチベーションがあります。

朝8時に公民館に集合し、既に顔見知りとなった公民館の方と朝の挨拶を交わします。そして、去年お会いしたご夫婦が今年も参加されており、早速声をかけて頂きました。とても仲の良いご夫婦で、お話していて気持ちが良く、この日も多くの時間を共有させて頂くことになります。
そう、この講座、移住者である私にとっては、地元の方と触れ合うとても良い機会になるのですよ。

では、今回訪問した場所をご紹介しましょう。

(1) 高田屋顕彰館・歴史文化資料館

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いきなりですが、今回の講座で最も印象に残った場所です。

皆さんは高田屋嘉兵衛という名をご存知でしょうか?
私も初めて知ったのですが、江戸時代後期に淡路島に生まれ、船乗りとなって海運業に乗り出し、身分や国境を越えて北海道の開拓者として活躍した海の男です。当時まだ寂しい漁村でしかなかった函館の発展に貢献し、日本とロシアの間に立って両国間に起きた事件まで解決してしまいます。

近くには日露友好の像もありました。

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司馬遼太郎さんが「江戸時代で最も偉かった人物、世界のどんな舞台でも通用する人物」とこよなく愛した人で、その物語は小説「菜の花の沖」にまとめられています。
展示を見れば見る程興味が湧いてきて、私は早速小説を買ってきて読んでいるところです。

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余談ですが、高田屋顕彰館の周辺はウェルネスパーク五色として整備された公園になっており、宿泊施設や温泉もあります。
もう3年半も前のことになりますが、私が移住先として淡路島に興味をもち、初めてこの島を訪れた時、ここでキャンプしながら島を周りました。その時は高田屋顕彰館は目に入ってきませんでしたけどね(笑)。公民館に感謝であります。

(2) 河上神社

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一気に時代を遡り、平安時代(西暦900年代)から崇拝されてきた神社にやってきました。
公民館の方々による事前調整のおかげで、宮司さんが我々のために神社の歴史を詳しく解説して下さいました。

この神社は淡路唯一の天満宮で、万物育成の神「河上大神」と学問の神「菅原大神(菅原道真)」が祀られています。
写真のやや左手に大きな木がありますが、こちらは天然記念物に指定されているイブキの巨木。江戸時代になって、このイブキの木が拝殿に倒れかかり、拝殿の修理のために切ろうとしたところ、翌日には短くなっていたという言い伝えがあるそうです。
他にも、淡路島は徳島と合わせて名東県と呼ばれていたことがある等、興味深い話をたくさん聞かせて頂きました。

(3) 大昭和精機

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この史跡探訪講座の面白いところは、名所旧跡だけでなく、現在まさに活躍中の淡路島の地場産業も訪問する所です。
今回お世話になったのは大昭和精機株式会社。
金属加工する際にドリルなどの刃具を工作機械に固定するアダプタ("ツーリング"と呼ぶそうです)を開発、製造、販売している会社で、世界を舞台に事業展開しておられます。本社は大阪ですが、淡路島に工場があり、今回そちらを見学させて頂きました。

社員の方々がとても丁寧に説明してくださり、小学生の頃に行った社会科見学を思い出しました。と同時に、淡路島にこんな会社があったんだとビックリ。
品質への追求を付加価値として、世界と勝負する実に日本らしい会社で、益々の発展を期待したいところです。

(4) 寺町八ヶ寺

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昼食後、寺町八ヶ寺へ。城下町の雰囲気が残る通りに、宗派の違いを超えて8つのお寺が集まっています。
時代は江戸時代へ戻ります。当時、淡路を統治していた蜂須賀氏によって洲本に城下町が建設されたのですが、その際、城下町防衛のために寺院を集め、出丸的な役割を持たせたのが寺町のおこりなのだそうです。

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これまた公民館による事前調整のおかげで、遍照院というお寺の住職さんからお寺に関わる歴史上の人物などの話を伺うことができました。
そして、参加者全員で寺町めぐり。スタンプラリーですね。
無事8つのお寺を全て周り、参拝記念として数珠を頂きました。

(5) 淡路文化史料館

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最後に訪れたのは淡路文化史料館。
淡路島の歴史と文化を集めた博物館です。
以前個人的に一度来たことがあるのですが、参加者の方々と一緒に、「この農具、私の家にあった!」「昔、淡路島に鉄道走ってたのよ!」といった話を伺いながら周ると、また新鮮な気持ちで見学できました。

時計を見ると、もう夕方の5時。
バスで公民館に戻り、解散となりました。

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淡路島のまだ知らないスポットに足を運び、個人で訪れても聞けないような話を伺い、地元の方々と語らう、丸一日かけて淡路島の歴史と今を肌で感じ、充実した時間を過ごすことができました。
移住者が地域社会に溶け込む上で、公民館は貴重なインフラとなるのでは…、そんな気がしています。
もし将来皆さんがどこかに移住することがあったら、一度訪問してみるといいかもしれませんよ!
(T)
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2014年09月01日

淡路島のお線香が卒論のテーマに!同行密着取材です♪

「推古天皇三年(595年)夏四月、沈水、淡路島に漂えり・・・」

これは日本書紀の記述で、“沈水(じんすい)”とは香木のこと。
流れ着いた枯木を燃やしたところ、すばらしい香りがたちこめたので帝に献上したとあります。

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そう、淡路島は香木伝来の地として伝統を今に受け継ぐ「香りの島」なのです

夏も終盤のある日、かぐわしい香りに誘われて(?)とってもかわいい訪ね人が淡路島に来てくれました

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東京の某有名大学で文科人類学を学ぶ現役女子大生
淡路島のお線香をテーマに卒業論文を書くための取材旅行です。

で、なぜ淡路島のお線香??
「何か日本の伝統的なものを題材に、と考えていたところ、もともと香りが好きだったこと、そして淡路島がお線香の最大生産地だと知ったから。」との由。なるほど〜

遠路はるばるようお越しexclamation×2と、関係者一同でおもてなしです。

まずは兵庫県線香協同組合にて事務局長によるレクチャーからスタート

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淡路島のお線香作りが江戸後期、港町 江井で冬の副業として始まったこと。
船問屋が数多くあったので大いに流通したこと。
現在日本のお線香の7割が淡路島で生産されていること。
淡路島の香司(=香りのマイスター)」ブランドで海外へ打って出ていること、などなど、興味深いお話に彼女も釘付けー(長音記号2)

お次はお線香メーカー「尚林堂」さんへ

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社長さま自らお出ましくださいました手(チョキ)

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淡路島のお線香のウリは何と言ってもその品質。
それを頑なに守りつつも、「伝統は変わるもの。時代に合わせて変えていく。」と、自らネーミングされた商品を見せてくださいました。

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桃の香りでパッケージもキュート
お線香って仏事だけでなくアロマとしてもいいですよね〜
恋花を焚きながら“恋バナ”なんてどうでしょう・・・??

「昔からの匂い・使い方にこだわるつもりはないが、お仏壇にお線香を上げて手を合わせる文化は再認識していいのでは。」というお言葉に若い彼女も共感したようでした。

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続いて工場見学(注:通常一般向けにはされていません)手(グー)

こちらの大きな練り機で主原料である阨イ(たぶこ。閧フ木の粉末。)と香料、染料、お湯を加えて練ります。

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機械化が進んだ今でもこの微妙な調合は職人さんでないとできないとかあせあせ(飛び散る汗)

これに圧力を掛けてこの巣金(すがね)と呼ばれる穴の空いた板から押し出し、細長い棒状にします。

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そして裁断、乾燥、箱詰めして完成

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実際に製造過程を見るととても親近感が沸きますかわいい

次におじゃましたのは同じくお線香メーカーの薫寿堂さん

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常務取締役さまがご対応くださいました。

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こちらでは一般でも工場見学とお香作り体験ができ、年間5万人もの来場者があるそうです。

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ショップでは様々な商品が並び、見ているだけでも楽しいっ

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今では大変貴重な天然の伽羅を使ったお線香
一本千円ナリ(^^;

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フランスにOEM提供し逆輸入したオーガニックのお線香 
ハーブの香りがとっても爽やか!

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故人がコーヒー好きだったからと、コーヒーの香りのするお線香をお仏壇に上げる方もいらっしゃるそうです。

「日本人のきめ細やかな感性を活かしたモノづくりをしていきたい」と常務さん。これからどんな商品が飛び出すか、楽しみですね〜ひらめき

次にお話を伺ったのは淡路市商工会の課長さま

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組合と連携して国内外の展示会に出展するなどPRに尽力されています。

「海外ではお線香文化がない相手に説明するのは大変だが、大手フレグランスメーカーが品質を認めてくれたりと手ごたえを感じている。『線香と言えば淡路島』と世界中で言われるようになりたい」と意気込みを語ってくださいましたわーい(嬉しい顔)

この他にも、香木を御神体として祀る枯木神社や、

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淡路島の一宮 伊弉諾神宮を訪問してお線香との関わりを伺うなど、まさにお線香フルコースを味わって大いに執筆意欲をかき立てられたご様子

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さてどんな論文に仕上がるか、完成が楽しみです〜  (SAKA)
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2013年09月06日

ただひたむきに・・・。淡路人形座 人形遣い 吉田幸路さんです☆

淡路島で500年の歴史を誇る人形浄瑠璃るんるん

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最盛期には40以上の座元があり、千人もの人形役者が
島内のみならず日本全国を巡業していたそうですが、
他の娯楽に押され戦後は消滅の危機に・・・たらーっ(汗)

そんな中1964年に創設されたのが「淡路人形座手(チョキ)
淡路島の伝統芸能を守り後世に伝えるべく日々奮闘しておられます。

そこで今回は新館オープン一周年を迎えた人形座におじゃまし、
人形遣いの吉田幸路(こうじ)さん(本名 數田信介(かずた しんすけ)さん)に
お話を伺ってきましたわーい(嬉しい顔)

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幸路さんは南あわじ市生まれ。

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中学の部活動で人形浄瑠璃を習ったのがきっかけでこの世界に入られ
すでに芸歴20年exclamation×2
他の座員さんも皆子供の頃から浄瑠璃をされていたというのは
淡路島ならではの環境ですよね〜グッド(上向き矢印)

人形浄瑠璃は、人形を動かす「人形遣い」と、物語を語る「太夫」、
そして「三味線」の三業一体で成り立っていますが、
幸路さんは人形遣いぴかぴか(新しい)

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そして一体の人形を、足を動かす「足遣い」と、左手を動かす「左遣い」、
頭と右手を動かす「主(おも)遣い」の3人の人形遣いで操ります手(グー)

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3人の呼吸を合わせ、なおかつ太夫と三味線とも合わせるというのが
一番難しい所だとか。
人形の動きを見ているとあたかも人間のよう!!
その豊かな表情に驚かされますが、これも長年の修行の賜物なのですねかわいい

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人形座は1日5公演。
人形遣いだけでなく後見(舞台の補佐)など他の役目もあるので休憩はナシ。
お疲れ様です〜あせあせ(飛び散る汗)

人形座での公演に加え、ホテルや学校、地方や海外など
さまざまな場所でも公演されており、
今後も人形座と出張公演の2本立てに力を入れていくそうです。

現在座員は19名。

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さまざまな演目が月替わりでかかります。

最近は観光客だけでなくリピーターのお客様も増えてきたとか。
年代的には60代以降の方が多いので、子供さんや若い人たちに
もっと関心をもってもらう工夫を、と
体験ワークショップも開催されていますひらめき

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最近筆者の周りでもこのワークショップに行ってきた!という声がちらほら。
ムムム、キタか〜exclamation&question

最後に幸路さんから一言。
「まずは見にきていただきたいexclamation×2
敷居が高いという印象があるかと思いますが、
分かりやすくするために事前に解説を入れています。
舞台から見えるお客様の笑顔でテンションが上がります^^」

そうおっしゃる幸路さんのすこぶる爽やかな笑顔に
当方テンションが上がりっぱなしでございましたわーい(嬉しい顔)

今度はウワサの体験ワークショップの様子をお伝えしたいと思います〜手(パー)

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2013年08月19日

鎌倉時代から続く地域の伝統行事「火踊り」!

洲本市下内膳地域にある小高い丘には、奇妙な風景が・・・
これは、鎌倉時代から続くという送り盆の伝統行事が行われた翌朝の様子。

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丘の草は、所々、真っ黒に焼けています・・・
さて、どんなお祭りだったのか紹介していきましょう。

「火踊り」
全国的にもあまり例のない珍しい伝統仏事で鎌倉時代から続いているということです。
三昧(さんま)と呼ばれる埋め墓の小高い丘で8月16日に行われるお盆の送り火の一種。

下内膳地区では、墓石のある参り墓と、遺体を埋葬する捨て墓の2つがあるとする「両墓制」が古くから受け継がれ、このため、火踊りは捨て墓である三昧(さんま)で行われます。

この地区にある盛光寺の檀家が継承している行事で、
この三昧(さんま)には土葬時代には遺体が埋められていました。
今でも、分骨されるご家庭もあるそうです。

亡くなって初めてのお盆を迎える方から3回忌ぐらいまでの方の霊に別れを告げるようで
隣保の方が、この供養塔の竹を切ってお手伝いしてくれる習わしだそうです。
達者であの世に向かえるようにと、ワラ帽子・草履・杖の3点セットが添えられています。

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六地蔵様も祀られています。

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「火踊り」で使われる太鼓は丘の上に用意されていて、村が一望できます。

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有名な奇祭ということで、地域住民のみならず写真愛好家も続々と集まる中、
消火のために消防車や隊員も配置につきます。

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いよいよ日が暮れると、盛光寺住職の読経に続き、
太鼓や鉦(しょう)、音頭にあわせて、「火踊り」が始まりました!

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長さ約2mの荒縄の先に結びつけた松明(たいまつ)を振り廻し踊る・・・

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「おどれやれ こまよはねよやれ こまよばくちのさいとなれ こまよ」(歌は解読できない)

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最後には思い切り放り投げ、炎が音をたてながら火花を飛び散らせ三昧が幻想的な雰囲気に・・・

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こんなに火の近くでお世話をする地域の方も・・・

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ご先祖に祈りを捧げる伝統行事。
地域にとってもご近所が顔を合わせる大切な機会になっているようです。
隣保という田舎ならではの良いご近所付き合いがこの伝統行事を継承しているのでしょうわーい(嬉しい顔)

隣保を簡単に説明すると
地域には町内会(地区という所もあり)があり、その地域の世帯を5〜10軒程の集団に分けたのが隣保。
回覧板やゴミ出しという小さな事から冠婚葬祭まで、この隣保単位でお互いにお世話を仕合います。





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2013年06月02日

守る人々がいて守られている − 板木(いたぎ)池のお話

「地元の池で神事があるので来ませんかー?」
池の神事exclamation&question はてさてどんなことをするのかしら・・・?
興味に駆られてお尋ねしたところ、そこには代々受け継がれた
素晴らしい営みがありましたぴかぴか(新しい)

淡路市興隆寺地区にある「板木池(通称 大池)」。

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八浄寺さんを超えて、軽自動車がギリギリ通れるぐらいの細い道を
ずーーーっと登ったところにありますグッド(上向き矢印)
これは地元の人じゃないと絶対分からないなぁ〜、という感じあせあせ(飛び散る汗)

ここで毎年5月の申の日に、水の神様である貴船神社から勧請して
佐野神社の神主様による神事が取り行われます。

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明治初期に築造された、奥行き約230m、最大幅80m、水深18mの
大きなため池るんるん
かつて水不足に悩まされた淡路には約23,000ものため池がありますが、
板木池もその一つ。
ここが水源となって周囲約13haの土地を潤し、
明石海峡大橋が開通して本土から導水されるまでは
遠く洲本まで水を送っていたそうです。

岩盤から出る湧水がこんな大きな池になるなんて、
なんて素晴らしいんでしょうexclamation
畑をやるようになって水の有り難さをつくづく感じます。
それに緑が多くて見晴らしがいい!!

総長1名、会計1名、池守3名の計5名が中心となって
池を管理されていますわーい(嬉しい顔)

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昔の池の記録帖本

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毛筆.jpg

美しい毛筆が時代を感じさせますね。
パソコンのない時代、大人たちが飲み食いしながら
3日がかりで纏めていたのを子ども心に覚えているそうです。
それも地域のいいコミュニケーションだったのでしょうね。

池には底に溜まった泥を除去するという大変な作業が必要です。
まず池の水を1ケ月ほどかけて抜き、中央に埋められた土管の周りに
囲いを作ります。

構造1.jpg

そして土管に一旦蓋をして・・・。

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赤線のところでせき止めていた水を一気に放流して泥を押し流します。

泥吐け.jpg

体を張って作業される池守さんたち。 かなり危険な作業ですよね・・・あせあせ(飛び散る汗)

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こんな昔ながらのやり方をしている所は珍しいらしく、
近代的な水門を作って管理する手もあるらしいのですが、
敢えて伝統的な方法を継承していきたいとの想いもあるそうです。

皆さんの努力の甲斐あって、平成23年には
全淡ため池コンクールで最優秀賞を獲得されました〜exclamation×2

板木池の泥吐けは年一回、11月頃に行うそうです。
農家さんにとっては死活問題なので失礼になってはいけませんが、
この一大スペクタクルを是非拝見したいものですグッド(上向き矢印)

ちなみに案内していただいたのは総長のO氏。
この方は淡路の郷土史に造詣が深く、淡路の磐座
(いわくら。古神道における信仰の対象となる岩。)や
山のてっぺんに人知れず建つ小さな祠(ほこら)を
自分の足で訪ね歩かれています。
このあたりのお話をまた追ってお届けしたいと思います〜ひらめき

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2011年02月01日

元熊野といわれる「諭鶴羽古道」を行く

豊かな海と温暖な自然に恵まれ、古来より交通の要衝にあった淡路島には、
多くの魅力的な歴史や伝統文化が残っています。

そのひとつである「諭鶴羽(ゆずるは)古道」は、
淡路島最高峰(標高607.9m)にある熊野に並ぶ平安時代からの修験道です。

諭鶴羽ダムがある裏参道から登り、
灘黒岩側の表参道を下るコースで歩く体験イベントに参加してみましたるんるん
少々体力に不安がある私なのですが・・古道の魅力に触れたくて・・
最初に急な坂道があり、覚悟を新たに登ります。

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諭鶴羽山は、シイやカシなどの豊かな森で覆われているため、
様々な動物が棲んでいるということ。
ウグイス、ホオジロ、トビなどの鳥類、
イノシシ、ニホンシカ、ニホンザルなどの哺乳類の他、
アオスジアゲハ、ナガサキアゲハなどの蝶を見ることができるらしい。
ニホンザルは、淡路島ではこの諭鶴羽山系にしか生息していないとのこと。


坂道が緩やかになって、ホッとしているとお目当ての一つ
『神倉(かんのくら)神社』が出現。

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神代の時代、諭鶴羽神(イザナギ・イザナミの神)が乗られた鶴が、
ここの大樹で羽を休められたという由緒のある場所。
だからユズルハはこの漢字になるのですね。


山頂が近くなると、
淡路島の平野では珍しい積雪が日陰に残っていて、
子どもに戻ったように心が弾む。
そして、約1時間半、休憩を取りながらも登り切るとこの眺め。

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大パノラマを目の当たりにして、疲れが吹っ飛びましたグッド(上向き矢印)


今回、初めて知ったのが奥の院『篠山神社』の存在。
山の神様として、古くから灘の人々の八幡神社でした。

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諭鶴羽神社宮司 奥本賢治さまからも丁寧な説明を受けました。
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兵庫の巨樹巨木に選定「親子杉」は枯れそうになりながらも懸命な治療と
木の生命力で、今も立派にそびえています。
触ると元気と長寿を授かるとか・・・

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熊野権現御垂迹縁起によると唐の天台山の霊神が、
淡路国諭鶴羽の峰に渡られた後に、熊野新宮神蔵の峰に渡られたと・・

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水神社(水を主宰される神を祀っている)
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年間を通して霧が良く発生し、降水量の多い諭鶴羽山は、
古くから水源守護神として下流の人々から信仰を集めてきました。
水は飲み水や生活用水だけでなく、田植えや農作物の生育には欠かせない
“命”とそのもといえます。


神社の境内に仏である大日如来様が安置されています。
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諭鶴羽山は修験の山であったが、
約500年前の戦乱の頃に2回にもわたる焼き討ちにあい
明治初年の神仏分離、修験道廃止令などを受けて消滅。
平成20年に大日堂が建立され、大法要を行い大日如来を開眼しました。


下山は、表参道(2.0km)の急な坂道をころがるように歩きました。
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途中で枯れ枝を拾い、杖にしないと本当にころがってしまいますふらふら
ほとんど休憩をとらずに、歩くこと約1時間。
灘の海が見えてきた時の嬉しかったこと・・

疲れ切った身体を癒してくれたのは『行場の滝』
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3月下旬頃には「採燈大護摩供法要」
4月第2土曜日には「春例大祭」が開催されますので
神話と大自然に彩られた霊峰を訪れてみて下さいわーい(嬉しい顔)


諭鶴羽古道を守る会
南あわじ市灘黒岩472
TEL:0799−56−0315
携帯:090−3990−5334



posted by awajigurashi at 10:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 淡路の歴史、文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月30日

伊弉諾神宮

淡路市多賀の地にある淡路国一宮の伊弉諾神宮をご紹介しましょう。

『日本書紀』に「伊弉諾尊神功既畢而霊運當遷是以構幽宮於淡路之洲寂然長隠者也」、『古事記』に「故其伊邪那岐大神者坐淡路之多賀也」と記されているように、国産み・神産みを終えた伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が、最初に生んだ淡路島多賀の地に幽宮(かくりのみや)を構えそこに鎮まったと記されていて、その幽宮が伊弉諾神宮の起源とされています。

祭神は伊弉諾命・伊弉冊命(いざなみのみこと)の二柱です。

この淡路国一宮が存することから、平成の大合併によって淡路市が誕生するまで、この地は一宮町と称していました。

明治18年に官幣大社とされ、戦後は神社本庁が包括する別表神社となり、昭和29年に神宮と称するようになりました。国内で神宮の社号を称する25社のひとつです。

平成7年1月17日に発生した阪神淡路大地震で大鳥居が倒壊するなど大きな被害を受けましたが、氏子をはじめとする多くの人々の手で再建されました。
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大鳥居をくぐって玉砂利を踏みしめて歩いていくと、両側に灯篭が立ち並んでいます。
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放生の神池にかけられた橋を渡ると表神門です。門を入ると正面に拝殿があります。
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二礼二拍一礼でお参りをして右手に回ると祓殿と本殿を拝することができます。
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さらに東には県の天然杵物に指定されている夫婦大楠があり、その根元に岩楠神社が祀られています。
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さらに東には、淡路祖霊社があり、英霊を祀っています。
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毎年1月15日には御粥占祭が執り行われ、その年の作柄が占われます。またこの日は淡路農林水産祭も開催され、農林水産功労者表彰が行なわれるほか、境内一円に苗木をはじめとする露店が立ち並びます。

また、4月22日には例祭が執り行われるほか、6月1日には御田植祭、7月半ば頃には除虫祭等が行われます。
例祭は、4月20日の宵宮からはじまり、21日は淡路祖霊社例祭、22日は本宮大祭、それに続く神幸式では豪華な御神輿と絢爛な壇尻10基が境内をねりあげ、濱之宮旅所へ神幸します。

不思議なことですが、この伊弉諾神宮、伊勢神宮(内宮)と完璧に同じ緯度にあります。ぜひ地図で確かめてください。古(いにしえ)の人たちがどんな風に考え、双方の地にお祀りしたのか、不思議ですね。

淡路島へお越しの節は、ぜひご参拝ください。
by 蚯蚓




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posted by awajigurashi at 17:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 淡路の歴史、文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする