こんにちは、紡ぎ屋の藤本沙紀です!
寒い寒い冬も終わりに近づき、やっと少し、温かくなってきた淡路島です。
今日は3月10日。
私にとって、節目の日。
これから毎年、この日が巡ってくるたび私はきっと、一年前の今日に想いを馳せるのだと思います。
そうです。私が淡路島に来て、ちょうど今日で一年が経ちました。そんな記念すべき日にブログを担当させていただけるなんて、何か特別な縁を感じています。
そして一年経った心境は、「まだ一年なんだ」そんな感じ。
というのもきっと、この一年間が本当に充実していたから、そう思えるのだと思います。
世田谷のマンションを引き払い、最後の夜を実家で過ごし、深夜0時、心配を寂しさを滲ませながら手を振る母を横目に、私は笑顔で「いってきます!」そう言って父と二人、荷物を積んだレンタカーで出発した日のことを、昨日のことのように思い出します。
凄く凄く、寒い夜でした。
父が睡魔に負けないようにと、助手席で音楽をかけることに必死になっていると、「気にしなくて良いから寝なさい」そう言われて次に目が覚めたのは、明石海峡大橋が見えてきたころでした。
朝の7時。
大きな海に浮かぶキレイな朝日が、わたしたちを迎えてくれました。
「すごいなー…」と嬉しそうに、何度もカメラに収める父。
あの日見た景色は、いまでも私の大切な宝物です。
たくさんの不安を胸に、でも表には出さないようしっかりと蓋をして、私は私のまま、淡路島での生活をスタートさせました。
生活の足は電車から車へと変わり、いままでは会社が全部やってくれていた税金や生活の手続きに追われ、なんでもかんでもまとめられなくなったゴミの分別に頭をひねらせたりと、いまじゃ当たり前に思えることも全て、当たり前じゃなかったあの頃。
東京にいたままだったらきっと、死ぬまで知らなかったことだらけの淡路島での生活は、これまでどれだけ守られた社会生活をしてきたのかを、突きつけられるような感覚でした。
とにかく新しいことだらけで、発見と学びの日々。
おかげで一年前の自分より、だいぶ生活力もつき、たくましい人間になったと思います。
なにより嬉しかった変化は、患っていた卵巣の疾患がウソみたいに良くなっていき、通いづめだった病院も、いまは行かずに済んでいることです。
とはいえ、もちろん良いことばかりじゃないのが人生です。
「紡ぎ屋」という屋号を掲げ独立した夏には、思いもよらない挫折も味わいました。
東京へ引き上げることも真剣に考えるほどボロボロになり、実家へ帰った時期もありました。でもそんなときもそっと見守ってくれる人や、待っていてくれる人たちがたくさんいてくれたおかげで、また淡路島へ戻って来ることができました。
いまではその経験から、確信を持てた事実があります。
それは、「一番苦しかった日々こそ、振り返ってみれば、人生で一番かけがえのない日々になるということ。」
淡路島に来た最初のころは
「は?東京からこんなところ、何しに来てん?」
正気かと言わんばかりの表情で、問われ続ける毎日。
「さぁ~、なんで来ちゃったんでしょうね!」
自分でもよく分からなかったあの頃。
いまでは逆に、
「え?まだ一年なんですか?」
と言われることが多くなったくらい、きちんとやってきたことが積み重なっている実感があります。
ありがたいことに、たくさんのご縁から大好きな「書く」という仕事をさせていただいていますが、
もちろんまだまだゴールなんかではなく、“やっとスタートラインに立てた”そんな感覚。
同時に、そんな私が書くことの価値がどこにあるのか、一年を経てようやく、なんとなくですが見え始めた気がしています。
それは、「言葉で人を前にむせること」。
それが、紡ぎ屋としての私の使命であり、淡路島へ来た意味であると、いまはそう信じたい。
そしてこれからも、自分が納得できる仕事をしたい。自分の幸せのために。大切なものを守るために。
かけがえのない人の、かけがえのない存在であり続けられるように。
…なんて、そんなことをたくらんでいる私ではありますが、
どうか淡路島のみなさま。
改めて、これからも末永くよろしくお願い致します!
最後に。
諦めずに、今日という日を淡路島で迎えられて良かった。
この場を提供してくださっているNPOあわじFANクラブさんに感謝をこめて。
2018.3.10 紡ぎ屋 藤本沙紀
〜紡ぎ屋〜藤本沙紀---☆
2017年3月東京から単身、淡路島へ移住。
―小さな想いを大きな景色に―
まだ見ぬ多くのマイノリティが秘める価値や想いを
大きな景色に紡ぎ発信していくことを目的とした、
プロデュース・制作活動を行っています。