明け方に雷が鳴り、霰まで降って一日寒かった27日とは大違いの小春日和の11月29日、洲本市教育委員会主催・歴史文化遺産を活かした“まちあるき”ツーリズム事業「洲本城下町 下屋敷庭園群を巡る」に参加してきました。
洲本は古くから開けた城下町で、三熊山(みくまやま)には昭和3年、昭和天皇の即位を記念して建てられたわが国最古の模擬天主があります。
この三熊山上のお城一帯を「上の城」と呼び、脇坂安治が本格的に整備したと言われています。
その後、上の城は廃城となり、由良に城は移されます。江戸に入り、徳島藩の蜂須賀の所領となり、筆頭家老の稲田が由良城代となりますが、交通の便が悪いなどの理由で、再び洲本へ移ります。(由良引け)
この時、三熊山、曲田山(まがたやま)を背にした、淡路文化史料館、裁判所、税務署などがある一帯がお城として整備されました。これを「下の城」と呼びます。
城下は、洲本川(旧名:塩屋川)を北に、西に千草川(旧名:物部川)、東は海、そして南は三熊山、曲田山に囲まれ、堅固な自然の守りの区域に市街地が形成されました。
厳島神社のすぐ西に、堀端筋がありますが、洲本川から神社あたりまでお堀となっており、堀の東を内町、西を外町と呼びます。堀には橋が2本しかなく、内町に入るにはどちらかを渡らなければなりませんでした。
そんな街中、曲田山のすぐ麓の下屋敷通には稲田の家臣たちの屋敷が立ち並び、一番東に西荘と呼ぶ稲田の別荘があります。後に、稲田家の学問所・益習館がここに移されます。
明治3年に起こった庚午事変により建物は消失してしまいます。
戦後、これら一帯は、民間の所有となっていましたが、益習館跡は平成25年に所有者の高田さんが、洲本市に寄贈され、以来市によって整備がなされてきたものです。
今回、旧益習館庭園とあわせて、桑島邸(旧井上邸)庭園、旧津田邸庭園をそれぞれ所有者である桑島さん、淡路信用金庫さんのご厚意により見学させていただいたものです。

写真は当日資料より
当日参加者は60人。2班に分かれて見学しました。
私たちはまず桑島邸庭園へ。
稲田家家臣・井上家の庭園です。大滝、小滝があり、大滝の対岸には滝見石、池の中には水分石が配置されています。
庭一面に素晴らしい苔が生え、手入れが行き届いています。
続いて旧津田邸庭園へ。こちらも稲田家の家臣の津田家の庭園で、現在は淡路信用金庫の研修所となっています。
やはり、曲田山を背景に、池泉鑑賞式庭園です。

最後に旧益習館庭園へ。本年2月、洲本市の名勝に指定されました。
曲田山を背景とした広大な庭園です。写真中央の巨大な石は、高さ4m、幅5.8mを越える庭園石としては日本最大級のものです。
巨石の自然石を巧みに配置し、回遊路には渓谷の眺望が形成されています。

教育長が『洲本の財産として多くの人に知ってもらい、愛される庭園として守っていく』と挨拶。
あらためて歴史と文化のまち・洲本を実感した半日でした。
(螻蛄)