2011年08月16日

南あわじ市からの海便り

淡路島のシンボルといえば、何といっても

今回は、南あわじ市福良港をちょっぴりご紹介ー(長音記号2)

福良といえば、漁業の町。三年トラフグや桜鯛の養殖でも有名です。
今回は、その養殖の稚魚中間育成センターがある須崎というところに初めて行ってきました。

漁師さんの船に乗せてもらい、旅行気分(実はちゃんとした仕事の一環なんですよ!)
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砂浜には、ハマゴウ(葉っぱを揉むとお香の香りがするんですよ!)が咲いている。
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7月に満開を迎えるハマボウの遅咲きが僅かに咲いていてラッキー!!
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ハマボウの群生といえば、淡路島では「成ヶ島」が有名なんですが、ここ須崎にも群生が見られて、
ちょっと驚きましたねあせあせ(飛び散る汗)
ハママツナという秋になると紅葉する、これまた「成ヶ島」で群生しているものも確認できましたグッド(上向き矢印)


漁師さんの船で福良湾クルージングへダッシュ(走り出すさま)

何といっても有名なのは「煙島」
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福良漁港から、湾に沿って1kmほど南西に浮かぶ小さな無人島。

〜平氏一門が阿波に渡る前、福良湾で休んでいるときに、敦盛の首がもたらされたので荼毘(だび)に付した。その時に煙が立ち上ったことから、島の名がついたという。島の頂上には、敦盛の首塚がある〜

観潮船「咸臨丸」が鳴門の渦潮目指して通り過ぎていきます。
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粗い岩肌が見える海岸線は迫力満点。
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少し先に鳴門海峡大橋が見えます。
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これより先は、潮の流れがきつくなるので帰路に着きました。

この潮の流れを活かして美味しい3年トラフグや鯛が養殖されるのですねるんるん
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ミニクルージングの後は、猛暑の中、チリメン街道を歩き水産会社を訪問。

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出荷作業に追われる現場に厚かましくも潜入ー(長音記号1)

木箱に手際よく詰められていくチリメン。
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木箱に入ったチリメンなんて地元のスーパーでは見かけかたことがない・・・
それもそのはず、島内では出荷せず全てが和歌山行きだとか・・・

淡路島観光の代名詞のような「海」
自然・歴史・食など、全ての恵みを私たちに惜しみなく与えてくれていることに改めて感謝を感じる一日でしたわーい(嬉しい顔)


平 敦盛(たいら の あつもり)出典:ウキペディア
笛の名手であり、祖父平忠盛が鳥羽院より賜った『小枝』(または『青葉』)という笛を譲り受ける。
平家一門として17歳で一ノ谷の戦いに参加。源氏側の奇襲を受け、平氏側が劣勢になると、騎馬で海上の船に逃げようとした敦盛を、敵将を探していた熊谷直実が「敵に後ろを見せるのは卑怯でありましょう、お戻りなされ」と呼び止める。敦盛が取って返すと、直実は敦盛を馬から組み落とし、首を斬ろうと甲を上げると、我が子直家と同じ年頃の美しい若者の顔を見て躊躇する。直実は敦盛を助けようと名を尋ねるが、敦盛は「お前のためには良い敵だ、名乗らずとも首を取って人に尋ねよ。すみやかに首を取れ」と答え、直実は涙ながらに敦盛の首を切った[3]。この事から、直実の出家の志が一段と強くなったという発心譚が語られる。「延慶本」や「鎌倉本」では、直実が敦盛の笛(または篳篥)を屋島にいる敦盛の父経盛の元に送り、直実の書状と経盛の返状が交わされる場面が描かれている。
淡路島煙島に敦盛の史跡がある。
この『平家物語』の名場面は、のちに能『敦盛』、幸若舞『敦盛』、謡曲『敦盛』、歌舞伎『一谷嫩軍記』などの題材となった。織田信長の好んだ歌『人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり。一度生を享け滅せぬもののあるべきか』は幸若舞の『敦盛』の一節である。


posted by awajigurashi at 16:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 淡路の風景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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